ソフト競馬の「歴史・歩み」

「ソフト競馬」の考案者は、日本ソフト競馬協会の会長・福元弘二氏(元地方競馬騎手)。

 

<2006年> 

当時、群馬県高崎市にある乗馬クラブのインストラクターだった福元が、「元(地方)競馬騎手」であったという事で、「モンキー乗りを目指す(イベントタイトル「目指せ!モンキー!」)」というイベントを任される。

当初は少しずつ「モンキー乗り」を目指していく内容だったが、乗馬クラブでは限界があったため(人馬のレベル、ネタ切れ等)、「競馬体験系イベント」にシフトしていった。

その中で、「実際に“騎手体験”として『安全に』レースが出来ないものか?」と考えた果てに発案されたのが、このソフト競馬の元となる「めざモン!レーシング!」だった。

 

当時は人馬のレベルを考慮し「出場者中“真ん中のタイム”の人馬が優勝」というルールだった。

(出場が「5人」なら「3番目のタイムの人馬」、「8人」なら「4番目のタイムの人馬」が優勝、という感じ。)

 

<2007年>

1年間を通して「めざモン!レーシング!」のレースを開催。リーディングジョッキー表なども作りイベント出場者は楽しめたが、いまいち広がらなかった。

そのまま一旦フェードアウト。

 

<2010年~2012年>

群馬県吉岡町にある乗馬クラブに移った福元だが、そこでは「パカパカジョッキー」という名前に変えて3回ほど開催。

人馬のレベルを考慮し「2番目のタイムの人馬が優勝」というルールに変更したが、その方がスピード感が出た。

 

<2013年>

この「パカパカジョッキー」を「全国レベルで展開したい!」という思いから、「ソフト競馬」に改名、ソフト競馬の成績や統一ルールを管理する「日本ソフト競馬協会」を立ち上げる。

 

 

 →ソフト競馬の「野望」